【君が代】「アジア最古の国歌」ランキング発表、2位フィリピン 7位台湾 10位北朝鮮―台湾メディア
1: 昆虫図鑑 ★ 2026/09/21(月) 16:29:26.74 ID:gKML30Dn
インドネシアを拠点にして、東南アジアあるいはアジア全体の各種データや統計を紹介しているウェブサイトのシーシア(seasia)はこのほど、「今も歌い継がれているアジアで最も古い国歌」として、1位から10位までのランキングを発表した。台湾メディアの三立新聞網はこの発表について、「中国の愛国主義者は精神崩壊」と評した。
シーシアは、今も歌い継がれているアジアで最も古い国歌として日本の君が代を挙げ、「現在の旋律は1880年に作られたものだ。しかし、その歌詞はさらに古く、10世紀ごろの『古今和歌集』に収録された日本の古典的な和歌に由来する。この国歌は1999年に法律で正式に認められた」と紹介した。
現在の君が代が作られたのは1880年で、雅楽演奏家だった林広守らが旋律を作った。その旋律に、ドイツ海軍の軍楽教官だったフランツ・エッケルトが西洋音楽の理論に基づいて和声(和音)を付けた。シーシアはランキングにおいて、この1880年を、現在の君が代が成立した年とみなした。なお、林広守らが作った旋律は、日本の雅楽の壱越調の旋法(節回しの様式)による。エッケルトは西洋音楽とは異質の旋律に和声を付けることに相当に苦労したと見え、旋律の最後の部分では和声づけを断念して旋律のみにした。
現在の世界の国歌の旋律はほとんどが西洋音楽を土台にしており、日本のように1000年以上の歴史を持つ自国の音楽の様式を採用した例は極めて珍しい。また、君が代が法律で国歌と定められたのは1999年だが、それ以前にも慣例として国歌として扱われてきた。現在でも英国やニュージーランド、スウェーデンのように、成文法では定めず慣例として特定の曲を国歌として扱っている国は複数ある。
シーシアはランキングで2位から10位までとして、フィリピンの「ルパン・ヒニラン」(成立は1898年)、アルメニアの「メル・ハイニク」(1918年、ただしソ連時代は使用を中止)、トルコの「イスティクラル・マルシュ(独立行進曲)」(1921年)、レバノンの「クルナ・リル・ワタン」(1927年)、インドネシアの「インドネシア・ラヤ」(1928年)、台湾の「中華民国国歌」(1930年)、カンボジアの「ノコール・リーチ」(1941年、ただし一時期は使用を中止)、ラオスの「ペン・サート・ラオ」(1947年)、北朝鮮の「愛国歌」(1947年)を挙げた。
「中華民国国歌」は台湾で「国歌」として歌われている。1929年に中国国民党の党歌とされ、1930年に暫定的な国歌として使われ始め、1937年に正式な国歌に指定された。歌詞には、「国父」と呼ばれる中華民国成立の大きな功績者である孫文が1924年に、軍幹部養成のために設立した黄埔軍官学校の開校式で述べた訓示の言葉が用いられている。孫文が建国の理念とした三民主義(民族主義、民権主義、民生主義を指す)の言葉で歌詞が始まるために「三民主義の歌」とも呼ばれる。作曲者の程懋筠は幼少時から音楽を好み、江西省立高等師範でバイオリンを学んだ。1916年から26年までは日本に留学して東洋音楽学校(現・東京音楽大学)で声楽や作曲を学んだ。現在では台湾以外で「中華民国」の名が使われることは珍しく、台湾ではこの点も注目を集めた。(翻訳・編集/如月隼人)
https://www.recordchina.co.jp/b993081-s25-c30-d0198.html
シーシアは、今も歌い継がれているアジアで最も古い国歌として日本の君が代を挙げ、「現在の旋律は1880年に作られたものだ。しかし、その歌詞はさらに古く、10世紀ごろの『古今和歌集』に収録された日本の古典的な和歌に由来する。この国歌は1999年に法律で正式に認められた」と紹介した。
現在の君が代が作られたのは1880年で、雅楽演奏家だった林広守らが旋律を作った。その旋律に、ドイツ海軍の軍楽教官だったフランツ・エッケルトが西洋音楽の理論に基づいて和声(和音)を付けた。シーシアはランキングにおいて、この1880年を、現在の君が代が成立した年とみなした。なお、林広守らが作った旋律は、日本の雅楽の壱越調の旋法(節回しの様式)による。エッケルトは西洋音楽とは異質の旋律に和声を付けることに相当に苦労したと見え、旋律の最後の部分では和声づけを断念して旋律のみにした。
現在の世界の国歌の旋律はほとんどが西洋音楽を土台にしており、日本のように1000年以上の歴史を持つ自国の音楽の様式を採用した例は極めて珍しい。また、君が代が法律で国歌と定められたのは1999年だが、それ以前にも慣例として国歌として扱われてきた。現在でも英国やニュージーランド、スウェーデンのように、成文法では定めず慣例として特定の曲を国歌として扱っている国は複数ある。
シーシアはランキングで2位から10位までとして、フィリピンの「ルパン・ヒニラン」(成立は1898年)、アルメニアの「メル・ハイニク」(1918年、ただしソ連時代は使用を中止)、トルコの「イスティクラル・マルシュ(独立行進曲)」(1921年)、レバノンの「クルナ・リル・ワタン」(1927年)、インドネシアの「インドネシア・ラヤ」(1928年)、台湾の「中華民国国歌」(1930年)、カンボジアの「ノコール・リーチ」(1941年、ただし一時期は使用を中止)、ラオスの「ペン・サート・ラオ」(1947年)、北朝鮮の「愛国歌」(1947年)を挙げた。
「中華民国国歌」は台湾で「国歌」として歌われている。1929年に中国国民党の党歌とされ、1930年に暫定的な国歌として使われ始め、1937年に正式な国歌に指定された。歌詞には、「国父」と呼ばれる中華民国成立の大きな功績者である孫文が1924年に、軍幹部養成のために設立した黄埔軍官学校の開校式で述べた訓示の言葉が用いられている。孫文が建国の理念とした三民主義(民族主義、民権主義、民生主義を指す)の言葉で歌詞が始まるために「三民主義の歌」とも呼ばれる。作曲者の程懋筠は幼少時から音楽を好み、江西省立高等師範でバイオリンを学んだ。1916年から26年までは日本に留学して東洋音楽学校(現・東京音楽大学)で声楽や作曲を学んだ。現在では台湾以外で「中華民国」の名が使われることは珍しく、台湾ではこの点も注目を集めた。(翻訳・編集/如月隼人)
https://www.recordchina.co.jp/b993081-s25-c30-d0198.html
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