【なぜ事実無根だとわかるような情報を信じてしまうのか】「広島・長崎の原爆投下はウソ、放射線ではない」といったSNSでの主張が目立っている、一部のネットユーザーはこれらの主張を支持し、その考えを強めている
1: 影のたけし軍団 ★ 2026/08/15(土) 07:53:13.43 ID:??? TID:gundan
終戦記念日に前後して、「広島・長崎への原爆投下はウソである」といったSNSでの主張が目立っている。言うまでもなく、完全なデマだ。しかしながら、一部のネットユーザーはこれらの主張を支持し、その考えを強めている。
なぜ事実無根だとわかるような情報を信じてしまうのか。その背景を考えてみると、情報接触における問題点が浮き彫りになってきた。
■SNS上で散見される「原爆投下そのものがウソだ」という投稿
今年も8月15日の終戦記念日を迎えた。6日には広島、9日には長崎の原爆投下の日を迎え、1945年に終結した第二次世界大戦について、SNSでも言及が相次いでいる。戦中を知る人々が続々と鬼籍に入るなか、「語り継ぐ」ことの意味は高まっている。そんな中、「原爆投下そのものがウソだ」といった主張がSNS上で散見され、これに対するNHKの検証報道も注目されている。
8月8日にNHKニュースで出された、「『原爆はデマ』荒唐無稽なフェイク拡散 実相と異なるAI動画も」と題する記事は、Xで約1.2万リポスト、約2万いいねを記録。「なぜこんなことを信じるのか」といった声が寄せられた。NHKの記事でも書かれているように、原爆投下は科学的見地からも、事実だと言える証拠が十二分にある。にもかかわらず、原爆はデマだと言い切ってしまう背景には何があるのだろう。
一つ考えられるのが、インターネット上で拡散される、いわゆる「陰謀論系」のコンテンツだ。特に大きな影響を与えているとされるのが、とあるYouTubeチャンネルに、2026年4月に投稿された一つの動画である。
そこでは、近現代史の研究者を名乗る人物が、「原爆投下は事実ではない」と言及。広島や長崎に投下されたものは原爆ではなく、被害も放射線によるものではないといった持論を展開していた。この動画が4カ月の時を経て、再び注目されているのだ。
多くの読者が「そんなデマを信じる人などいるのか」と思うだろう。筆者も同様の考えだ。しかしながら、それを信じる人々を一蹴することは、根本的な解決につながらない。
ここで考えるべきは、主張の荒唐無稽さではなく、「定説から大きく異なる言説でも、信じてしまう人がいる」ことについてだ。その存在を無視してしまえば、毎年夏の風物詩的に、こうしたデマが出回ることとなるだろう。
デマが広がる背景には、メディア、とくにマスメディアに対する不信感が考えられる。「“オールドメディア”にはダマされないぞ」「政府や報道機関が隠している真実がある」といった疑念が、真偽不明な言説の支持につながるのだ。
そこでカギを握るのは、「モヤモヤをキッパリと言語化してくれる存在」だ。明快であればあるほど、スカッとする。「もしかして原爆の被害などなかったのでは」と思う人の前に、「『もしかして』じゃなくて、ホントになかったんだよ!」と言い切ってくれる人が出てくれば、わらをもつかんでしまうのだ。
そこには「主張が正しいか、間違っているか」より、優先される基準がある。いわば「あなたの疑問は間違っていないよ」と、お墨付きを与えてくれるか否か。自ら検証する前に、先回りで“答え”を示されれば、飛びつく気持ちもわかる気がする。
百歩譲って、原爆投下に「解明されていない点」があるのは事実かもしれない。しかしそれは、大量の犠牲者の発生や、終戦の混乱などで、被害の全体像が把握できない状況だったことに要因がある。
また、被爆者も、世間からの偏見や、「自分だけ生き残ってしまった」という後悔の念などから、多くを語らない人は多い。後年になるまで、人によっては生涯を通して、その体験談を語るのに積極的でない人もいる。情報がつまびらかになっていないことには、理由があるのだ。
しかしながら、それらの理由も「建前だ」と思ってしまう人がいる。そういった人々にとって、「ウソだ」...
なぜ事実無根だとわかるような情報を信じてしまうのか。その背景を考えてみると、情報接触における問題点が浮き彫りになってきた。
■SNS上で散見される「原爆投下そのものがウソだ」という投稿
今年も8月15日の終戦記念日を迎えた。6日には広島、9日には長崎の原爆投下の日を迎え、1945年に終結した第二次世界大戦について、SNSでも言及が相次いでいる。戦中を知る人々が続々と鬼籍に入るなか、「語り継ぐ」ことの意味は高まっている。そんな中、「原爆投下そのものがウソだ」といった主張がSNS上で散見され、これに対するNHKの検証報道も注目されている。
8月8日にNHKニュースで出された、「『原爆はデマ』荒唐無稽なフェイク拡散 実相と異なるAI動画も」と題する記事は、Xで約1.2万リポスト、約2万いいねを記録。「なぜこんなことを信じるのか」といった声が寄せられた。NHKの記事でも書かれているように、原爆投下は科学的見地からも、事実だと言える証拠が十二分にある。にもかかわらず、原爆はデマだと言い切ってしまう背景には何があるのだろう。
一つ考えられるのが、インターネット上で拡散される、いわゆる「陰謀論系」のコンテンツだ。特に大きな影響を与えているとされるのが、とあるYouTubeチャンネルに、2026年4月に投稿された一つの動画である。
そこでは、近現代史の研究者を名乗る人物が、「原爆投下は事実ではない」と言及。広島や長崎に投下されたものは原爆ではなく、被害も放射線によるものではないといった持論を展開していた。この動画が4カ月の時を経て、再び注目されているのだ。
多くの読者が「そんなデマを信じる人などいるのか」と思うだろう。筆者も同様の考えだ。しかしながら、それを信じる人々を一蹴することは、根本的な解決につながらない。
ここで考えるべきは、主張の荒唐無稽さではなく、「定説から大きく異なる言説でも、信じてしまう人がいる」ことについてだ。その存在を無視してしまえば、毎年夏の風物詩的に、こうしたデマが出回ることとなるだろう。
デマが広がる背景には、メディア、とくにマスメディアに対する不信感が考えられる。「“オールドメディア”にはダマされないぞ」「政府や報道機関が隠している真実がある」といった疑念が、真偽不明な言説の支持につながるのだ。
そこでカギを握るのは、「モヤモヤをキッパリと言語化してくれる存在」だ。明快であればあるほど、スカッとする。「もしかして原爆の被害などなかったのでは」と思う人の前に、「『もしかして』じゃなくて、ホントになかったんだよ!」と言い切ってくれる人が出てくれば、わらをもつかんでしまうのだ。
そこには「主張が正しいか、間違っているか」より、優先される基準がある。いわば「あなたの疑問は間違っていないよ」と、お墨付きを与えてくれるか否か。自ら検証する前に、先回りで“答え”を示されれば、飛びつく気持ちもわかる気がする。
百歩譲って、原爆投下に「解明されていない点」があるのは事実かもしれない。しかしそれは、大量の犠牲者の発生や、終戦の混乱などで、被害の全体像が把握できない状況だったことに要因がある。
また、被爆者も、世間からの偏見や、「自分だけ生き残ってしまった」という後悔の念などから、多くを語らない人は多い。後年になるまで、人によっては生涯を通して、その体験談を語るのに積極的でない人もいる。情報がつまびらかになっていないことには、理由があるのだ。
しかしながら、それらの理由も「建前だ」と思ってしまう人がいる。そういった人々にとって、「ウソだ」...
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