「そんなに日本が嫌ならば出ていけば?」と揶揄されて激昂した左派、オウム返しで言い返そうとした結果……
書いてる時楽しかっただろうな pic.twitter.com/BeMCfSdmq7
— 山中 (@yamanakanobody) September 24, 2026
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当時、日本国籍を失った彼らは、国民年金や国民健康保険に入れなかった。公的な仕事には就けず、民間企業の採用も閉ざされがちだった。やがて、そんな家々を、朝鮮総連の活動家が訪ね始める。朝鮮総連は北朝鮮を支持する日本国内の組織。帰国の推進は、労働力を求める北朝鮮の意向に沿うものでもあった。彼らは盛んに「地上の楽園」を宣伝した。建国から間もない北朝鮮では、教育や医療が無償で、食料や必要な物資も全員に配給されるという。
やがて、ふるさとの朝鮮半島、「楽園」の北に戻りたいという人が続出する。当時の日本は韓国とも北朝鮮とも国交はなかった。だが、帰国は「人道問題」として扱われ、赤十字国際員会も支援・助言する形となり、日本政府も実施を決める。その間、新聞やラジオは北朝鮮礼賛の報道を続けていた。
帰国事業に詳しく、30年以上も北朝鮮を取材してきたジャーナリストの石丸次郎さん(64)は「政府だけでなく、自治体、労働組合、革新団体、文化人……。みんなで彼らの背中を押したんです」と言う。北へ行けば、日本よりましな暮らしが待っている。多くの人がそう信じてしまった。
1960年6月、父の決断で梁さんを含む家族7人も帰国を決めた。












































